かつらで遠足に来てくれた|5歳で亡くした母のこと

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ぼくには、母の記憶がほとんどありません。

5歳で亡くなったので、当たり前といえば当たり前です。

でも理由はそれだけではなくて、母は亡くなる前ずっと入院していました。だから一緒に暮らした記憶そのものが、ほとんどないんです。

昔のことを思い出そうとするひろと

思い出そうとしても、出てこないんです。悲しいというより、空白に近い感じでした。

この記事にお金の話は出てきません。

覚えていることと、大人になってから知ったことを書いただけの記事です。


覚えているのは、遠足の日だけです

はっきり残っているのは1つだけです。

幼稚園の遠足に、母が来てくれました。

入院していたはずなのに、来てくれた。それだけの記憶です。

いつ気づいたのかも、覚えていません。

誰かに言われたのか、振り返ったらそこに居たのか。何を話したかも、何を食べたかも覚えていません。

正直に言うと、母の顔もはっきりとは思い出せません。

ぼくが思い浮かべる母は、遺影の着物姿です。写真のほうが記憶より強く残ってしまいました。

それでも「来てくれた」という事実だけが残っています。

5歳のぼくは、それがどれだけ大変なことか分かっていませんでした。


あとから知ったこと

大きくなってから、いくつか教えてもらいました。

かつらだったこと

母はがんでした。治療で髪の毛がありませんでした。

あの日、母はかつらをつけて遠足に来ていました。

ぼくはまったく気づいていません。子どもだったからでもあるし、母がそう見せていたからでもあると思います。

「なんで来られたんだろう」と、今なら思います。当時は何も思っていませんでした。

日記をつけていたこと

母は入院中、日記をつけていました。

見つけたのは、22歳のときです。父が倒れて、実家のものを整理していたときに出てきました。

でも、読みませんでした。

そのまま8年、置いておきました。

読んだのは30歳のときです。

なぜそのタイミングだったのか、うまく説明できません。

「30歳になったら読む」と、なんとなく決めていました。

母の日記を前にしているひろと

見つけてから8年、開きませんでした。読む準備ができるまで、それだけかかったんだと思います。

そこに書かれていたのは、自分の体のことではありませんでした。幼かったぼくのことばかりでした。

自分がいちばんつらいはずの時期に、書き残していたのは息子の心配でした。

一気には読めませんでした。

1ページめくるたびに涙が止まらなくて、何日かに分けて読みました。

30歳まで待ったのは、たぶん正解でした。22歳のぼくには、読み切れなかったと思います。

母について、覚えていることとあとから知ったことの対比。覚えているのは幼稚園の遠足に来てくれたことだけ。あとから知ったのは、がんで髪がなくかつらで来ていたこと、入院中の日記に息子のことばかり書かれていたこと


父のことも、あとから知りました

母が亡くなったあと、父は酒を浴びるように飲むようになりました。

絵に描いたように落ちていきました。

幼いぼくには、その理由が分かりませんでした。ただ怖くて、近所の祖父母の家に逃げ込んでいた記憶があります。母方の祖父母が近くにいて、ぼくをずいぶん可愛がってくれました。

大きくなるにつれて、父とはよく喧嘩しました。

父のことを分かるようになったのも、ずっとあとです。

親戚から聞きました。父は母が入院しているあいだ、毎日病院に通っていたそうです。亡くなったあとも、ずっとお墓に通っていたそうです。

それを聞いて、やっと分かりました。

あの人は、母のことがよほど好きだったんだと思います。

そして、その気持ちを子どもに説明する言葉を持っていなかったんだと思います。ぼくには酒を飲む姿しか見えていませんでした。


学校がいちばん面倒でした

母親がいないと、学校では少し違う目で見られます。

いじめられたわけではありません。ただ、そういう空気があるんです。

とくにきつかったのは遠足と運動会でした。前日までに必要なものを、自分で揃えないといけません。

小学生には、これがけっこう難しいです。

いちばん覚えているのは、遠足の日です。

まわりの子がお弁当を持ってきているなか、ぼくは先生に頼んでコンビニに行きました。

まわりはお母さんの手作り。ぼくはコンビニ弁当でした。

味も、買ったものも忘れました。でも、あの列から自分だけ抜けて歩いた感覚は残っています。

責める相手がいるわけでもありません。父は働いていたし、母はもういません。

ただ、あの日の弁当のことだけは、今でも覚えています。


知るのが遅いと、間に合わないことがある

ここまで書いてきて、共通していることがあります。

全部、あとから知ったことです。

  • 母がかつらで遠足に来ていたこと
  • 日記に息子のことばかり書いていたこと
  • 父が毎日病院に通っていたこと

どれも、当時のぼくは知りませんでした。

そして今、伝える相手はもういません。

これはお金の話ではありませんが、構造は同じだと思っています。

22歳で父が倒れたとき、ぼくは制度も保険も何も知りませんでした。知ったのは全部あとからです。

知るのが遅いと、取り返せないものがあります。

お金なら、遅くても取り戻せることがあります。でも人については、それができません。

だからぼくは、せめてお金のことくらいは早く知っておこうと思うようになりました。


息子には、まだ何も話していません

息子には、この話をしていません。

10歳にはまだ早いと思っています。いつか話す日が来るのかもしれませんし、来ないのかもしれません。

ただ、ひとつだけ決めていることがあります。

説明できる親でいようと思っています。

父はきっと、ぼくを大事に思っていました。でもそれを言葉にできませんでした。だからぼくは、酒を飲む姿しか受け取れませんでした。

同じことを、息子との間で起こしたくないんです。

なぜ節約をしているのか。なぜ投資をしているのか。なぜ副業をやっているのか。

息子が聞いてきたときに、ちゃんと答えられるようにしておく。

このブログを書いているのは、たぶんその練習でもあります。


まとめ

  • 母は入院していたので、一緒に暮らした記憶がほとんどない
  • 覚えているのは、幼稚園の遠足に来てくれたことだけ
  • あとから知った。がんで髪がなく、かつらで来ていたこと
  • あとから知った。入院中の日記に、息子のことばかり書いていたこと
  • その日記は22歳で見つけたが、読んだのは30歳。8年かかった
  • あとから知った。父が毎日病院に通っていたこと
  • 全部、伝える相手がいなくなってから知った

今日やることを1つ選ぶなら、これです。

親が元気なうちに、ひとつだけ聞いてください。

大きな話でなくて構いません。昔どんな仕事をしていたか、どこに住んでいたか、そのくらいで十分です。

ぼくは何も聞けませんでした。聞ける相手がいるうちは、それは当たり前ではありません。

かつらで遠足に来てくれた日のことを、ぼくは今でもときどき思い出します。

ひろと

ひろと

40代・千葉在住のシングルファーザー。5歳で母を亡くし、父子家庭で育ちました。今は息子と2人です。
「息子には、選択肢の多い人生を。」その思いから、貯める → 増やす → 稼ぐ「お金の順番」を実践しています。

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